つくづく思うのだが、我が社はさながら牧場である
我が社はさながら牧場である
我が社はさながら牧場である。
個人はみな自由気ままに働いている。
同じ課の仲間が、どんな仕事をしているのかすらいまいちわからない。
遅刻も咎められることはない。
いびきをかいて寝ている者すらいる。
我が社で生きるということは、自由という名の放牧である。
我が社はさながら牧場である
我が社はさながら牧場である
長らく牧場で暮らし、勝手を得ている者たちが、我先にと餌へ群がり離さない。
新入りや若手が得ることのできる餌は、旨味のない食べかすや、食べきれず残された残飯のみである。
餌を配る者へと取り入る”牧場内営業”こそが、牧場で生きていくためには必須のスキルなのである。
それができないものは、飢えていくしかない。
我が社はさながら牧場である
我が社はさながら牧場である。
社畜たちを束ねるボスは、さらなるボスやオーナーのことしか見ていない。
彼らは「出世」という名の餌を与えてくれるから。
腹の膨れない、他の社畜たちにはなんの興味もない。
興味を持つときは、餌のもらえそうな面白いことを始めた時だけである。
その時初めて、彼らは匂いを嗅ぎつけやってくる。
この牧場では、彼らは餌をかすめとることだけを考えているのである。
我が社はさながら牧場である
そんな牧場では、餌は決まって与えられる。
たとえ寝ている者でも、長く牧場へ滞在しているだけで餌の量も増えていく。
そんな環境に身を置きながら、淡々黙々と牙を磨く。
死んだ目、人間不振を横目に、まっすぐ前だけを見つめる。
広大な牧場の片隅で、ただただ自分の道を進むのみ。